このページでは、製品化へのヒントや、製品になるまでの裏話など、オリハラ製品にまつわるお話を掲載しています。
第8章は「エチケットーンに驚天動地がやってくる!」です。
異常渇水はあて外れ.....
記事が忘れられるにつれて、ぱったり注文はとだえた。翌年の夏、秘かに期待した異常渇水は訪れず、エチケットーンは倉庫に山積みされたままになった。
しょげ返りながら折原は、本来の目的に戻らざるをえないことを悟り、主力商品の軽水洗が売れるたびに、音のでるおまけとしてエチケットーンをつけることにした。
昭和50年。56年と、エチケットーンは年間わずか500個くらいずつおまけとしてはけただけだった。
企業の”節約運動”が大量注文につながった!
昭和57年に入って、驚天動地の出来事がやってきた。衣料メーカーからいっぺんに300個の大量注文が舞い込んだのである。
同社は江東区・越中島に工場群を持っており、ほとんどが女子従業員で、女性用トイレだけで300近くある。そこの節水の目的で1個ずつ取り付けたい、というのだ。
きっかけは、QC運動の提案制度にあった。職場の能率を上げ、働きやすくし、無駄を省く為の提案を工場内に呼びかけたところ、「トイレの水の無駄をなくす為に、消音器を取りつけたらどうでしょう。」
と、いう声が女子従業員の間から出てきた。
その従業員は、友達の結婚式に招かれたとき、式場のトイレに付けられたエチケットーンを見た。これはいい工夫だ、と気づいて提案したのである。
会社側はサンプルを取り寄せてテストし、たしかに効果があることを知って、大量注文してきた。
初めは細々としか売れなかったものが、時間がたつうちにしだいに多くの人の目にふれ、こちらから宣伝したわけでもないのに、よさが認められたのだ。
そして、大企業が大量にまとめて女性用トイレにつけたとなると、それはもう一つの社会現象になる。
昭和58年には、テレビがこの社会現象に気づいてわっと取材に来た。これが大きかった。エチケットーンはたちまち、ブラウン管を通じて1000万単位の人々の目にふれることになっていった。
それからはもう、電話のベルが鳴り止まない。名だたる大企業、そうそうたるお役所から注文が殺到して、狭い事務所はてんてこ舞いの大騒ぎ。しかも注文は大口で、その年のうちに5000個、翌年7000個、昭和60年には8000個がはけて行った。
そうした中で、エチケットーンにとって最大の事件が起った。さて、その事件とは。
つづく
次章は『エチケットーン最大の事件!』です。
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